地域:東京都
必要性がなかった
会社の上司と付き合い浮かれていた挙句、自然消滅になり3年。
その間、彼氏はいませんでした。
ただ、充実していたことだけは覚えています。
休みの日は友人とランチや海外旅行に行ったり、自分の趣味の時間も持っていました。
どうも、彼氏優先になってしまう自分から少し離れ、遊び方を少しずつ覚え始めた20代前半だなと、今思うとそのように言えます。
今までの彼氏の存在と言ったら、何かしらの欲求を満たす存在ではなかっただろうかと、当時の自分に伝えたいです。
彼氏という固有名詞を付けなくても、手を繋いで欲求を満たす都合の良い存在を演じていたので、彼氏がしばらくいませんでした。
果たしてそれが、良かったのかどうかは答えはわかりません。
人生設計
楽しいことはいつまでも、自分自身で広げることができます。
その楽しさに、年齢は関係ありません。ただ、遊ぶ場所と遊ぶ相手だけは、自分で見極めが必要です。
ふと、このままの自分の感覚がずっと続くのかと思った時に、すごく不安になりました。
俗に言う、我にかえる。
と言うことです。都合の良い相手がいれば、自分自身も都合の良い存在であることに変わりはありません。
そんな時は、仲の良い友人ですら、都合がよく感じてしまうほどでした。
彼氏という肩書きではなく、本能として家族を持ちたい。
という気持ちのが大きかったです。人生、何事もタイミングだと実感しました。
そのような気持ちにならず、素敵な相手がいる方もいるわけです。
運命の出会い
彼氏を探している時は、見つかりません。
気持ちが先走り、行動や発言の全てがチェック項目です。
少しでも気に入らない点があれば、候補から除外の繰り返しです。
一呼吸して、自分自身に自信を持ち、気持ちを落ち着かせた時に、その人は必ず現れます。
そう信じていた頃に、ちょうど旅行で観光をしていた彼と出会いました。
どこで何があるか分からないからと、気合いを入れていた頃とは一転、コンビニへ飲み物を買いに行こうとしていた、ありのままの状態で出会ったからこそ、自然と打ち明けることができました。
飾らず、自分を出せることがこんなに素敵なことなのかと、20代後半にして学んだのです。
今までの経験があるからこそと思っています。
本当の生活
環境に変わりはありません。若い頃は、彼氏ができて、お花畑状態でした。
相手を思いやる気持ちに変わりはありませんが、生活をしていく中で、自分ベースと相手ベースの2つの折り合いがあることは、絶対的な成長です。
赤の他人だからこそ、気遣いと心遣いを忘れずに、自然といられる環境があると、生活環境も自然と変わっていきます。
相手の気持ちを考える、という考え方よりも、相手の傷みを感じるように。
が一番納得できます。
嬉しいことも、悲しいことも心が温かくなったり、傷くなったり。
いつまでも、その気持ちを忘れない存在であるように、一つ一つの行動にメリハリをつけていきたいです。
そして、新しい環境を作り出すからこそ、大事なものを忘れないようにします。